だめちゃんにっき

今わたしが思うこと

もう二度と「推し」は作らない

 

最後の推し活を終えました。

 

推しの引退や活動休止によりやむを得ず「最後」を迎えたのではなく、自分の意思で推すことを辞めました。単に気持ちが離れてしまったといえばそれまでですが、わたし自身の今後のオタク活動のために、今思っていることを全て書き残しておこうと思います。

 

 

結論から、そしてザックリと言ってしまうと、わたしはきっと最初から彼のことを推してなどいなかったのだと思います。

もちろん彼のことは大好きでしたし、今もそれは変わりません。(恋バナか?)

でもそこに「応援したい」という気持ちは正直微塵もありませんでした。好きだから観劇する、好きだから遠征する、好きだからグッズを買う。別に現状以上に有名になってほしいとも思わなかったし、演技の上達にもさほど興味はありませんでした。なんなら舞台慣れしてなかった頃の方がかわいくてよかったなとまで思ってました。今思うと最低ですが…

 

そもそも、「推し」という言葉がアイドル界隈の垣根を超えて、様々なジャンルで使われるようになったのって結構最近のことじゃないですか?

今やオタクなら誰しもが「推し」をもつ時代。3次元はもちろん、2次元にも「推し」は溢れかえっています。〇〇(推し)さんといえば△△(オタク)さんみたいな空気もなんとなくあったりして。

「推し」って本来なら「応援している人物」というだけのはずなのに、「そのオタクを構成する要素のひとつ」だと間違った解釈してしまったのが全ての元凶です。この大馬鹿野郎。

そしてまんまと推しがほしくなったわたしは、その時たまたま観た舞台でたまたま好きになった役をたまたま演じていた彼を推すことにした!わたしは推しをアクセサリー代わりにしたクソバカ最低うんちオタク!!!!!!!!石を投げてくれ!!!!!

 

土下座したまま地面に埋まってしまいたい。

 

応援したい気持ちがないのに推してしまったから、どうしたらいいのかわからなくて、とりあえず所謂強火のオタクの真似をした。全通遠征手紙プレ認知諸々に必死になって勝手に病んだ。どこまでいっても阿呆である。

 

 

好きな作品、好きなキャラクター、好きな役者。

好きがたくさんあって胸を張って好きだと言えるのって、すごく素敵なことだと思う。ましてや推しがいるなんて最高だと思う。それだけで人生はきっと薔薇色だよ。歌って踊って街中でスキップできる。

 

わたしだって好きな人や物は数え切れないし確実に今後も増えていく。

でももう二度と誰かを「推し」にすることはない。これは断言します。責任を持って最後まで応援を貫くことはきっとわたしにはできない。

好きなだけでは推せないんだなって、本当によく身に沁みました。あんなんで推しているだなんて思っていた自分が恥ずかしい。何年オタクやってんだよ…情けない…

 

彼にも、そのファンにも、本当に失礼なことをしてしまった。謝っても仕方がないしわたしのことなんてどうでもいいだろうけど申し訳ない気持ちが尽きません。もうこの話題に触れることはないだろうけど、わたしはこの身勝手な心苦しさを背負って今後もずっとオタク活動を続けていくんだろうな…